乙武さんの講演会を聞いて著書『自分を愛する力』を読み進めています。


先日、乙武さんの講演会を聞き、めちゃくちゃ明るい人だと感じました。実はテレビに出ていることは知っていますが、もともとテレビを見るぼくではないので、実はどんなひとだかわかっていません。

『五体不満足』を書かれている人であることは知っていましたが、ぼくは読んではいません。

五体不満足

 「満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった…」。先天性四肢切断という「超個性的な姿で誕生」した日を、著者はそんな言葉で描写している。そして「生まれてきただけでビックリされるなんて、桃太郎とボクくらいのものだろう」という感想を書きつけた後で、1ヵ月後に行われた母との対面の様子を紹介する。そのとき母は単純に「かわいい」と言ったのだと――。

一見客観的な文体でつづられたこの「まえがき」は、ある意味で「神話」である。生後1ヵ月の子に確実な記憶などあるはずはないし、周囲にも何らかの単純化の配慮があったことが、容易にわかるからだ。

しかし、周囲の事情は問題ではない。大事なのは、「神話」によって培われた著者の強い自己肯定感覚の力である。「靴の代わりに車椅子に乗る」と言い、障害を個性としてとらえてやまない著者の芯の強さは、この自己肯定感覚なしには考えられないからだ。

本書につづられた著者のアイデンティティー獲得を巡る格闘は、明るく感動的で説得力に満ちている。障害は個性だという主張にも、多くの読者に受け入れられる普遍性があると思う(若者は、誰でも障害者と自己認識しているという言い方だって可能なのだから)。

しかし、と考える。「かわいい」と言ってくれない両親がいなかったらどうなるのか。世の中には、むしろそんな人の方が多いのではないのかと。この問題の解決は、むろん著者の課題ではないにしても。(今野哲男)

この有名な本を読んでいないのになぜ今回『自分を愛する力を読もうとしたのか?それは、この人が尋常でないぐらい明るい人だったから。その背景を知りたくて本を読むことにしました。

自分を愛する力

僕が明るく生きられる理由。
「自己肯定感」とはどのように育まれるのか。

なぜ僕は、生まれつき手足がないという障害を受けいれ、苦しむことなく、かつ明るく生きてくることができたのか――。
乙武さんがたどりついたのが「自己肯定感」という言葉。「自分は大切な存在だ」と思う、この「自分を愛する力」について、息子として両親の愛に満ちた子育てを振り返り、教師として現代の親子が抱える問題を見つめ、父親として自らの子育てを初めて明かしながら考察していく。『五体不満足』著者による初の新書。

まだ、第一章しか読んでいない。だけど、乙武さんの強さが伝わってくる。元々の性格もあるだろうけど、両親と周囲の大人(先生)がスゴイ。

母親が学校にいたこともより効果があったのだろうけど、常に周囲に応援団がいる。家でもそう。学校でもそう。常に助けてくれる人がいて見守ってくれる人がいることがカギ。

ダメなことをした場合のしつけは必要だが、最後まで、乙武さんを信じているような周囲の大人たちがいたからここまで明るく育ったのだと思う。

ここまで読んで、子どもの育て方を再確認できた。褒めて育てる大切さ、子どもの欠点を探さない、自ら行動することへのブレーキを大人がかけない、子どもを最後まで信じている。子どもを比べない。

これらを出来ている親は数少ない。兄弟がいれば比較もされる。極力これらを無くすような子育てをすることが、自己肯定感を生み、自分の力で生きていけるような強い子供に育つに違いない。

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