イケダハヤトさんの『新世代努力論』を読みました。


本日、イケダハヤトさんの新世代努力論を読み終えました。

新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値観だ。

ぼくはイケダハヤトさんのブログ『まだ東京で消耗しているの?』を読んでいるのでかなり取っつきやすい本でした。だいたい何が言いたいか分かるからね。

本の内容はですね、努力というのは才能ではなく、後天的に育ったもので元々、持って生まれた才能でもなければ、だれもが持ち合わせている能力でもない。

その人の育った環境によるものでその人本人の力によるものではありませんよ。

ってところかな。

そう考えれば、努力が足りていないからあの人は堕落しているんだって考えるよりもたまたま環境が悪かったからそうなってしまったんだと考えてあげるほうが確かに人として社会として優しい考え方です。

だけど、ぼくとしてはやはり自分がここにいるのも、それなり努力してきているからここにいるんだと考えていることが根底にあるので、全てが環境のせいなんだと言われると自分の意志がないみたいに言われて少し複雑な気持ちになりました。

しかもそれすら、努力して達成したことに対して、実は、運の要素が大きいのですよ。周囲の環境の影響が大きいのですよと言っています。それって、つまり努力するしないは、全てが周囲に影響されたことであって、個人の問題ではないって言っています。

ぼくは、そんなことを言われるともっと堕落する人が多くなるのではないかと思います。全てが環境のせいなんだよというのは建前でいいと思う。

本音は目標に向かって努力しないといけないよ!って自分の子どもにはいうかな?

確かに堕落?失敗?している人に対しての考え方としては、環境のせいなんだと伝えるほうがその人は復活しやすいから、そう言ってあげるほうがその人の励みになるのは確かです。建前というのはそういう意味です。

それよりもぼくはこの本の中で気に入った言葉があって、それは、没頭するという言葉。

この言葉に『新世代努力論』の中で出会えたことがとても嬉しかったし、魂を揺さぶられました。

努力ってなかなか手に入れにくいじゃないですか?子どもに努力することをどう伝えるのか難しいとずーっと思っていました。努力しなさいっていうのは、勉強しなさい!っていうのとほぼ変わらない感覚なんですよ。頑張れっていってるんだから。

努力って目標を掲げてそれに向かって邁進することですよね。しゃにむにがんばる!ということ。実はぼくがんばるって言葉もあまり好きではないんですよね。

いや、がんばれっていうんだけど。めいっぱい頑張っている人に対してはいうことばではないかと思います。これ以上何を頑張れと?って言われてもおかしくないでしょ?

だからぼくはこの没頭という言葉は進んで邁進している意味があるので、とても共感を得ました。それだけでこの本を読む価値があります。

新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値観だ。

この本を読んでこれから読んでみたいと思った本。本の連鎖!

幸田露伴『努力論』

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